自分の中の辞書
皆さんは頭の中に辞書を持っていますか?
いやいや、言葉話せてるんだからそりゃ持ってるよ!!
そう思った方。大変失礼致しました。笑
今日ご紹介したい学びはまさにそこです。
確かに言葉は話せるし、俗に言うボキャブラリーは持っているけど、本当の意味は分かっているのか?
また、辞書を引いたときの言葉を鵜呑みにしていないかということです。
おいおい、待ってくれ。もう意味わかんねえよ。もっと詳しく教えてくれよ。というそこの方。
つまり・・・。
自分なりの解釈が必要ということです。(ここでは自分的解釈という言葉を使わせていただきます)
辞書の言葉はいわゆる一般的な考え方や、意味だと思ってみて下さい。そこに自分の頭の中にもう一つ言葉の意味を持っておくイメージです。
ハッキリ言いますが、言葉だけを覚えるのは頭でっかちになってしまう原因です。
例えば、自分が教員免許を持っている体育。
「体育」とは、体を成長、発達させるための教育と定義されています。
では、学校の体育では本当にそれが出来ているのか。考えることができますよね。
実際、現在の体育では、軽く体を動かしたら、すぐにゲームといった流れがほとんど。人数が多いから、できる子とできない子の二極化が激しく、授業に参加しきれない子がいるというのが現実です。
それでは、生涯を通して健康でいられるような生活習慣を少年期・青年期で身に付けることは難しくなってきますよね。
体を発達させるための時間のはずが、50分という時間、体を動かすことができずに、立ってるだけ、座ってるだけの子がいるのがリアル。
教師も、円滑に進めるためにそこを容認してしまっています。(もちろん、ここに気を配れる方もたくさんいます)
では、自分的解釈と言いましたが、自分にとって体育とは、体の使い方、危機管理の仕方を運動を通じて学んでいくことだと思っています。
だから、自分が授業を構成するなら、危機管理は徹底しますし、基礎練習前には体をうまく使えるようになるようなウォーミングアップを1つ組み込みます。
運動、つまり体を動かすことは一つのツールなので、それを通して周りに気を配ってあげれるような人格を形成することが理想だと思います。
これは、簡単なことではありません。間違っていると批判される可能性もあると思います。
体育を例に出しましたが、他のことでも共通して言えることだと思います。辞書を引いて、言葉を理解した気になるのではなく、辞書の意味+自分的解釈を持つことができれば、伝え方や、考え方は多方向にシフトしていくことができると思います。
辞書に書いている言葉をそのまま使うと自分との思考にエラーが起こってしまう瞬間がでてくると僕は思います。伝えるのが難しいとか、相手が理解しきれない時に言い換えることが出来ないとか。
そういった時に自分的解釈をすることができれば、言い回すことや、噛み砕いて伝えることができるようになると考えています。
これができると、自分のコミュニケーション能力はレベルアップすることができるのではないでしょうか?
自分もまだまだここから!!
この記事に目を通してくれた方々と共にレベルアップできたらと思っています!!
最後まで読んでいただきありがとうございました。